性格は変わらない
16Personalitiesというものがある。有名な性格診断だ。
今日久しぶりに自分の性格型を見たのだが、驚いたことにそこに書いてあるまんまの性格に戻りつつある(性格型は身バレ防止のため言わないでおく)。「戻りつつ」というのは、つい最近まではわりと人工の性格だったのが徐々に戻り始めているということだ。やはり慣れない性格だと居心地が悪く感じるようである。
そこで思ったのだが、性格は滅多なことでは変わらないので、性格の根本にかかわる考えを変えようとするのは無駄なのではないだろうか。
前回の記事で論理性の重要さを話したのだが、それは僕の性格が論理を重視するということに起因する。
だからある人間の性格が「思考型(T)」ではなく「情緒型(F)」だった場合、僕の論理重視の考えは最初から受け付けないであろうから、「論理性大事だよ」と言っても無駄ということになる。彼らが論理的に考えずに僕の考えを読むのであれば、なおさら僕の考えは彼らの脳に行き届かないだろう。
初めに書いたように、僕は性格、というより脳自体を、いじることがあるのだが、どんなにいじくっても最後には元の場所に帰ってくるのが常だ。
自分自身で性格を完全に変えることでさえ容易ではないのに、どうして他人がほんの数分で変えることができようか。絶対に不可能である(洗脳するという手はあるにはあるが)。
そんなわけで、今まで他人の性格を変えるということを少しは(無意識に)意識していた感があったのだが、これからはそんな無謀なことはやめて、ただただ自分が喜ぶ記事を書くようする。
人は変わらないからシステムを変えるべきというような言葉が進撃の巨人にあったように思うが、本当にそうだと思う。自分の意見を通したいなら、自分の信念を貫くより、相手の性格が喜びそうな言い方をする方がいいだろう。本気で性格を変えるのは個人でどうこうできることではないし、できたとしたらそれはもはや洗脳である。まあ、洗脳を極めるというのも面白いお話だとは思うが。
そういえば洗脳と言えば、最近自己洗脳をしようか迷っている。自己洗脳して受験楽勝モードにすることもできるのだが、何しろ反動が激しいので悩みどころだ。前に自己洗脳したときは自己洗脳したこと自体を忘れていたので1年くらい洗脳にかかりっぱなしだった。どんなにメリットばかりに見える洗脳内容でもデメリットはあるので、もし実行することになれば利点欠点をあぶり出してからにしたい。
まあいいや。とりあえず以上のことをまとめると、人は変わらないから自分が変化して対応しましょう、という感じでしょうかね。ま、よくある考えだわな。だが先人の考えをただ読んで吸収したときと自分で編み出したときとでは全くと言っていいほど理解度が違うので、それでもいいとは思う。そもそも先人の考え自体が精査すべき対象であるから、同じ道を通るのは当然のことと言えるだろう。
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