昨日メインブログの方で「だ・である調」で書いたので、今回はこちらで「です・ます調」で書きます。
昨日、「大学入試をゲームに喩えてみた」というタイトルでメインブログに記事を書いてみたんですが、今読み返してみるとつまらなすぎますね。
でも、こんなつまらないことをしたことにはちゃんと理由がありまして、「勉強法の型を作ってみたい」という思いがありました。型というのは、武術的な型を真似てみたものです。
なぜこんなことをしようとしたかは、別冊マガジンの話にまでさかのぼります(これより下、少々話が脱線します)。僕は進撃の巨人という漫画がとても好きで、最近は別マガを毎月購入するまでになってました。で、当然雑誌なので進撃以外の漫画もあるわけで、その中の「また来てねシタミさん」という漫画を今月になってやっと読み始めたんです。そしたらもうそれは滅茶苦茶面白くてですね、一気にファンになりました(ここで1,2話は無料で読める)。
この漫画では地元の名物で暗殺をする「ご当地殺法」なるものが登場するのですが、その中に「八極拳」で暗殺するというのがあって、「俺もやってやる!」と息巻いて検索してみたんですね。するとビックリしたことに、八極拳を使って人を吹っ飛ばしているではありませんか。
こんな人間が現実にいるのかと驚愕し、このチャンネルの動画をさらに探索するわけですよ。
そしてこの動画を見つけました。自分の意識する場所によって重心がずれ、体重が変わったように見えるというお話です。そこで僕は考えました。
「意識した場所によって重心が変わる。なるほど、武術で精神を重視するのは意識する場所によって動き自体も変化することをちゃんとわかっているからなんだな。意識する場所というのは大抵の人が無意識に決定していることであるから、これをあえて意識化させることによって、どんな人でも適応可能な武術を作ることができるというわけだ。意識の次に来る、武術における型というのも、万人に対して最適な動きを簡便に適用させることができるという理にかなった方法になるわけでもあるな。」
と、ここまで考え、ついにひらめくわけですよ。
「そうだ、勉強法においても武術のようなものが作れるぞ。僕が知らないだけかもしれないが、勉強法にはしっかりと確立され体系化された方法論というものがない。ここで勉強論なるものを作れば、その価値は莫大なものになるだろう。一つの洗練された勉強論を作ってもいいし、流派として既存の勉強法を体系的にまとめてもいい。どちらにせよ将来役立つことは間違いない。」
「じゃあまずは、オリジナルの勉強論を作ることから始めよう。まずは精神的な部分からだ。精神、というより意識する部分だな。意識の場所によって動きが変わるというのはどんなスポーツにも言えることで、これは勉強にも同様なことが言えるだろう。うーん、勉強で意識することか、難しいな。意識する場所というのは目的ということでもある。目的、つまり合格すること、に意識を向ける?やや陳腐だな。もっと本質をえぐり出さないと。そもそも勉強論なんだから勉強しているときの意識でないと困るよな。例えば参考書をやるときの意識とか。うーん。」
「ああ、そうだ。参考書を目的にしてしまっている人が多すぎるんだ。参考書は成績アップのための手段であって、参考書を完成させること自体は真の目的ではない。参考書を終わらせる、理解するということに意識がいきすぎていて、大局的な目標地点を見失っているのだ。いうなれば、ゲームにおいて攻略本を買ってその攻略本自体を徹底的に攻略するという状態。参考書=攻略本、この意識が必要であるのだ。参考書を攻略本と思えば、常に本番の攻略を意識して勉強できるし、意識の仕方としては最上ではなかろうか。」
はい、ここまで考えて、大学入試をゲームに喩えるという奇行に走ったわけです。
「参考書=攻略本」の意識はマジで重要だと思います。武術において意識によって動きが違ってくるように、この勉強法の意識によっても勉強の動きがまるで変わります。
で、この「参考書=攻略本」の意識を考えたわけですが、この後はまったく考えておりません。
どうしましょ。
まあ、ゲームに喩えるのを極めるというのもそれはそれで意味があるとは思いますが、もっと良いのがないかなあって思うんですよね。
うーん。他に思いつかないので、とりまゲームに喩えるのを極めることにしましょうかね。「ゲーム的勉強論」とでも名付けましょう。
ところで、こういう風に武術のように型にはまった方法論を作ることの何がいいかって、気になりますよね。ズバリ、(思考過程でもありましたが)万人へ適用できるということです。どんなに最初の根本的レベルが低かったり、意識の仕方がまずかったとしても、一気に矯正させる力があるのが武術的なものだと思うんです。それを勉強法でもできるかなあ、って話ですね。
あ、そういえば、「参考書=攻略本」の意識が大事という話をしましたが、正確には「参考書=攻略本」を無意識レベルで意識するのが大事という話です。参考書読んでる間ずっと「これは攻略本、これは攻略本、これは攻略本、、」などと考えるわけにはいきませんからね。無意識レベルに思想を染みつけるというわけです。そういう意味で、やはり武術に似ているという感じはありますね。
あとそれと、この話は「また来てねシタミさん」という漫画を起点に始まったわけですが(もっと言えば進撃の巨人から)、少ないところから話を発展させ新しいものを生み出す力というのが頭の良さの一つなんだと思います。2つ前の記事で頭の良さを決める3つの要素の一つとして「抽象度」を挙げましたが、これがまさにそうです。1を聞いて10を知る能力が「抽象化能力」であり、1を素早く理解する能力が「情報処理能力」です。そして無意識下で処理する能力が「並列能力」にあたります。思想を染みつけるというのは並列化という点でも非常に理にかなっていますね。
まあいいや。この「ゲーム的勉強論」を構築しようと思うので、完成まで楽しみに待っていてください。ちゃお!