思考について
2つ前の記事で、「思考」を「意識下で知識を組み合わせること」だという定義のもと話をした。
が、よく考えてみたらそんなことは不可能、もしくは効率が悪いような気がする。
そのことを説明するため、まず意識についての認識を共有したい。
意識は無意識から来ている。何か考えが浮かんだとして、それは無意識下での何かしらの反応により意識に投下されたものである。意識に浮かぶ前段階がすべて意識でつながていることはあり得ないし、これは体感でわかる。
つまり、意識と無意識は相互作用する存在なのだ。
そのを念頭に置いたうえで考えたい。意識下で知識の組み合わせが可能かどうかを。
まず、人は基本的に一度に一つのことしか考えられない。頭の中で2つ以上の声を「同時に」出すなど至難の業だし、できたとしても明らかに効率が悪い。だがそれを補うために作業記憶がある。作業記憶にあるものを意識下にあるとするのが正しいかはともかくとして、作業記憶にある知識と現在実際に浮かんでいる知識とを結びつければ、「思考」が可能になるのだ。しかし、それで良いアイデアが浮かぶかは正直疑問が残る。
やはり意識は無意識の助けのもと知識の組み合わせを行った方が効率が良いように感じるのだ。意識下に浮かんだことの繋がりとして適切なものが勝手に無意識下から投下され、意識があたかも「自然に」思考ができているように見えるようになる。この流れは「無意識」という意識にとってのブラックボックスを経由するため一見最適な方法ではないようだが、無意識下が脳の機能として存在する以上、使った方が脳全体のリソースの無駄遣いをしなくて済むように思う。
だがしかし、それだと思考過程に自らがコントロールできないものが存在することになり、思考を最適化しようとする者にとって非常に厄介になる。
では、無意識下を意識によってコントロールする術を編み出すべきではなかろうか。完全なコントロールなどできようもないが、無意識下のパターンをある程度まで操作するのは不可能ではない。
そもそも、意識と無意識は相互作用なのであるから、操作はいつもしていることではある。それが無意識優位での操作だったとしても。
僕が考えたのはここまでだ。
無意識下の操作方法、もしくは最適化について現在模索中である。
これについては非常に難しい問題であるため、一旦は保留とし、次回以降の記事の話題は別のことにしよう。
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